熊本地震・復興支援ボランティアレポート

この度(2016年4月14日・16日)発生しました熊本地震により、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。

 

被災地の熊本へ、緊急支援物資の提供と復興支援活動に行ってまいりましたのでご報告します。

 

滞在期間:2016/04/23~04/27

2名( 沢原宣之 沢原伸之 )

《熊本支援 SPECIAL THANKS》

今回の熊本応援にご協力頂いた全ての方に感謝致します

 

豊島区社会福祉協議会様・西山ようすけ豊島区議会議員・井上章三鹿児島県議会議員・浅井企画様・株式会社やまや池袋東店様・池山自動車様・渡辺自動車様・浅野様・レストラン「obbligazioni」様

小堺一機さん・鵜飼一嘉さん・小林顕作さん・アンバランス黒川さん・伽代子さん・いとうあさこさん・スギちゃん・ナイツ塙さん・イワイガワ井川さん・いいづか康彦さん・エイテツさん・花香よしあきさん・とろサーモン久保田さん・ツインクルポリス二郎さん・爆裂Q高見さん・モリコウヘイさん・赤プルさん・北村村長さん・ニシドアツシさん・林一美さん・工藤浩展さん・中山勝洋さん・一福さん・塗魂ペインターズ池田様・ナフコ東八代店様(順不同)

 

たくさんの寄付にご協力頂いた全ての皆様

アドバイス・情報を頂いた全ての方

本当にありがとうございました! 

■熊本支援・収支報告

滞在期間:2016/4/23~2016/4/27 

2名

 

寄付金:1,137,000円

 

支援物資:972,727円

(おむつ・おしりふき・大人用おむつ・離乳食・飲料・レトルト食品・カップラーメン・ゴミ袋・湿布・かゆみ止め・薬・絆創膏・防虫剤・殺虫剤・蚊取り線香・カセットコンロ・ボンベ・マウスウォッシュ・ボディシート・ドライシャンプー・栄養ドリンク・お菓子・果物缶詰・ライト・子供用玩具・ガムテープ・ケトル・電子レンジ・アンテナ内蔵型ポータブルTV・電池各種・靴下・下着・すのこ・ロールマット・トイレットペーパー・キッチンペーパー・除菌スプレー・除菌ウェットティッシュ・生理用品・ハンマー・ペグ・マジック・カッター・長靴・ゴム手袋・キッチンハイター・綿棒・ティッシュペーパー・調味料・インスタントコーヒー・ペーパータオル 等)

 

レンタカー代   32,400

配送料      7,710

交通費      21,650

燃料費(軽油)  9,780

雑費       23,570(駐車場・宿泊・備品等)

 

支出計        1,067,837

 

残        69,163-

 

残額は後方支援として熊本に物資を提供するための資金とさせていただきました。被災者の方と相談した結果、梅雨時期・夏場に向けて必要な物資のニーズが変わるため、このようにさせて頂きました。ご了承ください。

 

また、不明な点がございましたら、沢原までお問い合わせ下さい。

※写真の転載を禁じます

■熊本支援レポート

 

《きっかけ》

 

豊島区社会福祉協議会さんが主導で、東北のボランティア第一陣として参加させてもらったのが5年前。その時はただひたすら一生懸命だったが「もっと早く現地に行けなかったのか」と自分なりに思っていた。自治体のボランティアは安全第一になるので、少しでも危険があると行かせてはもらえない。仕方がない。

 

今回熊本の地震を知り、まずは有益な情報を拡散しようとフェイスブックで情報共有を開始。そんな中、熊本在住の同級生の安全を聞き安心するが、避難所やライフラインの状況をきくと「自分にもやれることがあるかも知れない」と感じた。宮崎のえびの市には父の生家がある。自分の半分は九州の血が流れている。鹿児島には妻の実家がある。なんとかなるかもしれない。1日も早く現地に入りたい。

 

 

呼びかけに応じてくれた友人たちのおかげで、たった1日で100万円近くの寄付金も集まった。感動で思わず涙腺が緩む。

 

「皆が応援している」

このことを熊本の人に伝えなければ。

 

そのタイミングで宇土市の小学校に避難している友人から「今日、自衛隊が入って水と食料はなんとか大丈夫、もっと困ってる人を助けてほしい」と連絡がくる。そして独自で行動している工藤浩展さんという地元の人を紹介してもらい連絡。工藤さんは自分も被災しているにも関わらず、物資と情報を集め一人東奔西走していた。

 

工藤さんの要請で「ドライシャンプー」をかき集めて欲しいと連絡が入る。熊本界隈にまったくないらしい。ドライシャンプーはふき取るだけで、髪を洗えるもので、東北の震災の時も品切れになったそうだ。この時はじめて知った。

 

風呂に入れない状況が続いている人がたくさんいる。銭湯や温泉が解放されていても、3時間待ちは当たり前で、いざ入っても湯船が汚れてしまっていて、入ることもはばかられる状態。何日もお風呂に入れなかった人たちが一気に少ない浴場に殺到するのだから仕方がない。「お風呂が汚れてますよー」とはテレビでは流れてこない。これはすぐにでも届けないと、いけない。新宿のドラッグストアを10件以上回って50本ほど集めた。状況を察してくれた店員さんが、何も伝えていないのに他に置いてあるお店をいくつも紹介してくれた。感謝。池袋のドラッグストアも息子を連れて回った。

 

余談ですが、熊本から帰ってきた今も息子は「ドライシャンプーあるよー」と教えてくれる。

 

 

《4/23》

 

静岡から兄を呼び、九州へ

ペーパードライバーの私、現地で車の運転手がいないとどうにもこうにも動けないため兄に運転のお願いをした。兄も被災地・熊本に対し同じ思いだった。都合をつけて駆けつけてくれた。

 

15:00 鹿児島空港着

事前に情報収集すると、鹿児島から熊本へ入ろうとしている人が多いらしくレンタカーがない状況があった。池山自動車さんのご協力でハイエースのロングを手配して頂いた。

 

鹿児島で支援物資の買い出し。大型のホームセンター、ショッピングストアをめぐり、必要な物資のカセットコンロやボンベ等を大量に買い込む。

 

避難所に入れない人たちは駐車場や公園で車中泊している。「落ち着いて寝られない」「子供が小さいと迷惑がかかる」様々な理由で避難所に入れない人がたくさんいる。

 

考えてみれば、避難所ではおならのひとつも気を使わなければいけない。携帯電話もテレビもそうだ。夜の避難所は物音で他人に迷惑をかけないようにしなければならない。気が休まらない、眠れない、便秘になる。当然かもしれない。

 

車中泊している人の元へは、もちろん物資なんて届かない。カセットコンロがあれば、レトルト食品などを自炊できるので助かるんだと要望があったそうだ。

 

もちろんお店で全部買ってしまうと、地元の人達が困ってしまう。その点は注意して購入。

 

買い出しに思ってた以上に時間がかかる。荷台一杯の買い出しが終わった時にはもう21時。お義父さんと義弟の協力で、夜遅くても大丈夫な素泊まりの宿を紹介してもらい、明日に備え就寝。

 

 

《4/24》

 

朝6時に宿をでて、熊本へ

仲間に借りたipadとモバイルwifiを駆使して最短経路をさがす。裏道を知らない私達にとって、5日間非常に役にたった。感謝。

 

八代で熊本の同級生と落ち合う。

私が16年前に出演した日本テレビの「雷波少年 ゴミ生活の旅」のスタート地点が八代だった。今回の熊本行きもなんだかそんな縁があったからかもしれない。

 

同級生の案内で宇土市に入る。5階建ての市役所が崩れかかってしまった場所だ。

 

避難所の小学校や公民館をまわって物資を届ける。そして足りないものを聞く。「ここでは、ビッグサイズのおむつがすぐになくなってしまう。離乳食も残りが少ない」等々のリアルな要望を聞く。必要なものを聞き明日また届ける事を約束する。子供達はトランプを喜んでくれた。

 

何軒かまわって、夕刻。

熊本市内の工藤さんのもとへ

昔、やんちゃしてたんだろうなーっていう感じの工藤さんは、なんだか熱くてまっすぐで、人なつっこくて責任感の強い人だった。とてもいい出会い。

 

いくつもの避難所から「あれが不足している」「これはないか?」と情報がくるも、一人ではさばき切れない状態で困っていたと。さらに話しを聞けば、現場のニーズは刻々と変わっているらしい。午前中必要だったものが午後にはもういらないとか。

 

大雨のあと温かくなり、駐車場とかでは虫がたくさん湧きだして、子供が顔中さされまくっていて困っている。殺虫剤・防虫剤等ほしい等々。やはり現場でないとニーズは把握できない。

 

情報を共有し、鹿児島に戻る。3時間半はやはり遠い。

 

 

《4/25》

 

朝5時半起床

鹿児島で買い付けをしている最中、妻の実家に寄る。

出発前に東京から物資を送っており、今日実家に到着するようにしておいた。浅井企画さんから提供された似顔絵入りのタオル100本。「困っている人のために、持って行ってほしい」と託されたものだ。

 

荷物を積んで一路熊本へ

平日に戻り、車の数が一気に増えた。

 

地震があったとはいえ、皆仕事をしなくてはならない。当たり前のことを目の当たりにする。

 

渋滞に巻き込まれながらも、昨日行った避難所につくと「あ、昨日の人だー!」子供が出迎えてくれた。

 

必要なものを渡し、別の避難所へ。電池やお菓子、ボディシート等を渡し、連絡先を交換。さらに移動。

 

嘉島東小学校へ。

被害の一番ひどかった益城町の隣町。100人以上が避難している。家が全壊している人もいる。物資を届けて事情を聴くと、かなり大変な状況。

 

指定ではない避難所で把握はされていても、物資はほぼ届かない。やっと水は出たが濁っている。食料も皆で調達し自分たちで炊き出し、アルコールスプレー等もない。体育館の屋根はところどころ落ちてしまい、入れない。グラウンドで皆、車中泊をしていたがそれも限界にきて、テントを貼りはじめた。

 

しかし、グラウンドの水はけが悪く、雨でテントの中に水が入ってきてしまって寝られない。熊本はここのところずっと天気が悪い日が続いている。

夜は火事場泥棒が出るので、自警団を結成し夜回りをしているそうだ。

テレビでは「戸締りをしっかりとして・・云々」と言っているが、ガラスが割れ、ゆがんだ家では雨戸が締めれない、完璧に戸締りする事ができないのだ。

 

需要を聞いて、工藤さんの拠点に戻り、情報交換。他の場所もいろいろと問題が起きているらしい。

 

病院では、届いた物資は患者さんに使われていてスタッフが遠慮して使わないでいるらしい。医療に従事する人の鑑のような振る舞いだが、スタッフの人が倒れてしまっては困る。その物資が要る。別の病院では、新生児用のおむつが慢性的に不足しているので届けたい。

 

他では、水が出る地域のコンビニのトイレのトイレットペーパーがないんだそうだ。皆がトイレを貸りられるコンビニに集まれば、そういう事もおきる。トイレットペーパーを届けたい。

 

さらに商店やコンビニでは、商品は無いのだが生活用品を求めに来る人がたくさんくるのだという。売るのではなく隣で配ることはできるのではないかと、案が飛び交う。水が通った地域でも場所によっては水が出ないし、マンションの1階では出るが、2階がでないとか、様々だ。

 

とにかく被災した現場でなければわからない情報、要望、声がたくさん聞こえてくる。

 

夜も0時近くなり、八代市あたりの公園で車中泊をすることにする。

ビジネスホテルでもあれば・・と思っていたが、どこも営業しているところは満員。八代市あたりまでくれば一部屋ぐらい空いているんじゃないかと思っていたが、熊本が地元の人が戻ってきたり、被災した人が宿を借りるのは当然で、この状況はしばらく続くのだと思う。

 

 

《4/26》

 

睡眠浅く、あまり寝れず。朝から買い出し。

 

ホームセンター、ナフコの東八代店で大量の買い付け。あまりの量のため我々の車(ハイエース)だけでは積みきれなくなってしまった。急遽ヤマト運輸さんにナフコまで来てもらい、避難所へ配送してもらうことにした。ハイエースに積めるものは無理やり詰め込む。

 

熊本県に何店舗もあるナフコは、今一番物資が集まってくるのだと教えてもらった。店長代理さんも被災しており、ずっと車中泊だそうで、なんとか復興に向けて協力したいと申し出てくれた。最後挨拶と握手をすると涙ぐんでいた。

 

保育所が再開しておむつが欲しいところがあると聞いて、仲介してくれている人に物資を渡す。その足で嘉島東小学校へ物資を届ける。テントの雨対策用の「すのこ」も大量に届けた。でもまだ全然足りない。

 

ここで元相方・スギちゃんから連絡が入る。

「鹿児島で仕事をしているが、俺も何か協力したい。合流できないか?」と。

 

それならばと段取りを組み、夜、スギちゃんと合流。再び嘉島東小学校へ連れて行くと、みんな笑顔になってくれた。

                                                         

最後に地元の皆さんと夜回りをして、いろいろな話を聞き終了。連絡先も交換して、今後の支援もできる限りすると伝えた。夏も近づいて暑くなって来れば需要が変わる。

 

仮避難所となっている小学校が再開され、被災者の皆さんが行き場を失えば、黄色や赤の張り紙が貼られた危険な家に戻らなければならない人が居る。すでにいるという話も聞いている。

 

熊本駅の周辺では、車も走り、一見もう普通の街並みにも見える。でも、少し行けば家が全壊し、道が通行止めで、道路が隆起して割れているところがたくさんある。

 

物資は鹿児島県内に届いているが、配る人がいない。物資が届いていない人がたくさんいて困っている。東北の時も同じだったが、時間がたてば物資の応援も、ボランティアの数も減る。

 

まだまだ困っている人がたくさんいる。

できる事はたくさんある。

 

 

《さいごに》

 

日本で、この20数年で大震災が4度も起きている。

 

それが教訓になっているのか、自衛隊の動きは素晴らしいし、電気ガス等の復旧も早くなってきていると感じる。

 

しかし4度目の熊本でも、「物資が届かない」「報道のヘリコプターで救助の声が聞こえない」等の同じ問題が起きている。政府は緊急対策本部などとは言わず、災害時の為の機関を常設するべきだと思う。個人で動いてる人に情報が入って動いてるのに、なぜ国の動きの方が遅くなるんだと。

 

あとSNSやネットで、被災者やボランティアに誹謗中傷とかしている人達。どうせ匿名なんだから、そんな悲しい事いわずに、日ごろ言わないような「カッコイイセリフ」を放っていこうぜ

「熊本愛してるぜ!負けるなよ!」って

 

皆の想いや政府の力が、最大限に活かされ合わさって、熊本の復興のエネルギーになることを切に願います。

 

今回の自分の行動に賛同し、協力してくれた皆さん本当にありがとうございます。発端は地震に対する自分の不安な気持ちを払しょくするためだったのかもしれません。それでも気持ちが度重なる偶然を呼びこみ、必然としか思えないような出会いとタイミングと力をくれました。本当にありがとうございました。

 

熊本のみなさん!一緒に頑張りましょう!

 

SR企画

代表 沢原宣之